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第14回 ある女王の死 –シエラレオーネ-

註:この小文は25年前の出張後に書いたもので、少しは歴史に触れている。

           これを今回のシエラレオーネ便りの最終稿とする。(UFO)

       (写真2枚掲載)

英国ヴィクトリア女王治世の頃、西アフリカの片隅にMadam Yokoと呼ばれた女王がいた。正確にはMende族の中で一番大きな領土を持つ連合酋長領の盟主である。

この辺りは今シエラレオーネに属している。国名は1462年ポルトガル人Pedro da Cintraが海岸にそそり立つ斑レイ岩の山をライオン山脈と名づけたのに由来している。この小さいながら年間5,000mmもの雨を呼び込む山塊の麓にFree Townがある。西アフリカ随一の天然港で山から流れ出る水も美味である。

1787年には英国法人が解放奴隷を再定着させる場所として、この地をMende族に隣接して住むTemne族の酋長から買い取った。19世紀に入って英国はこの地を植民地とし、1986年には周囲の酋長領を保護領とした。

Madam Yokoの在位は1885年から1906年までで、彼女は部族戦争の混乱期や初期英国統治下の反乱を乗り切り一応の安定を見届けた後、自分の権勢が絶頂のときに自分の意思で黄泉の国へ昇華したのである。

女酋長の存在は珍しいが、この種族にはSali法のように女が酋長になってはいけないと言う慣習法は無かった。彼女がそうなったのは社会慣習に見合った自身の実力である。アニミズムに満ちた世界とは言え、彼女にとって呪術は実力の内ではない。部族内はともかく、押し寄せる西欧の工業力に対して仮面の向こう側からやって来る呪力は物の数ではなかった。

彼女を育てたのは部族社会そのものである。彼女は部族の女学校、Sando Societyで部族の女性として知らねばならないしきたり一切を他の女の子と同じように学んだ。現在Free Townの雑踏の中で時折、仮面の踊り手を中心にした一団が練り歩くのに出逢うことがある。

「あれは何だ?」と聞くと、「Secret Societyだ。あんたも一緒に踊らないか。」との返事である。

それじゃ秘密性はなくなってしまったのか。そうではない。踊りの部分はもともと誰にでも開放されていた。そう言えば、未だ社会の成員と認められていない子供だって踊るではないか。秘密なのは生産、戦争、医療や呪術の技法でありその伝授は今でも村に行けば続いているところもある。

              Free Townの町外れで手をかざせば、入り組んだ海岸線一帯に何所までもアブラヤシの林が続いているのが見える。

Madam Yoko在世の頃、英人がヒルギの群生する海岸の奥に自生するアブラヤシを植林し西欧市場に油や核を運んだ。このヤシは新大陸に運ばれアフリカヤシと呼ばれている。一方、ヒルギは切り倒され雨期の川の増水を巧みに利用してアジア種の稲が植えられるようになった。籾のこぼれ落ち易いアフリカ原種は見捨てられ道端に生えている。今はその特性を生かしてアジア種と交配した品種が生まれている。

更に目を凝らせば整然と同じ高さで広がる背の高い林のところどころに群を抜いて一人聳える巨木に気がつくだろう。幹は北国の巨木よりはアンコ型で枝振りは柔らかく広やかである。ワタノキだ。この木の大きな傘の下に人々は住んで来た。教会やモスクの建造物よりのびやかで原子核の傘よりは少し安全だ。

ワタの木

SL Encyclopedia 2007 archive

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ワタの木

SL Encyclopedia 2007 archive

Soceityはカッサバ畑の向こうに広がるbushで開かれる。時折チンパンジーも覗こうと言う場所だ。別々の場所で、男の子たちはとりわけ戦いや狩の困難なときに必要な克己と忍耐、心を解く音楽を習い、女の子たちは、家事は言わずもがな、女の役割全般と音楽を習う。

                   Yokoの天賦の才のうち先ず踊りが人の目を惹いた。そこで望まれてある酋長の嫁になった。これはよくある話だ。今でもイサベラ・ペロンの例がある。間もなくその酋長が死ぬ。葬式にやってきた大酋長が友人の思い出にと彼女を連れて行った。彼女はその地で新しい学校を開く。何しろ踊りの名手のSocietyである。母親たちは競って娘を入学させた。やがて卒業は社交界への披露と同義になった。出来の良い生徒は有力者からの引き手数多である。

              一方、酋長には異人政府に顔を出すのを毛嫌いするものが多かった。大酋長もその一人で会議にはいつもYokoを代理出席させていた。今度は彼女の外交手腕が発揮される場面である。彼女の名前は更に広い地域に知れ渡るようになった。

              大酋長が死ぬと彼女が後継に推挙された。その後、彼女は近隣の酋長領を次々に傘下に加え、死んだときにはその数は15に達していた。男は集い来たり、その中には英国に反抗した酋長も居た。

              伝えるところによれば、彼女は毒杯を仰いだ後、侍女に、

              「もう充分人生を楽しんだわ、権力も男も。後は徒に齢を重ねるだけじゃないこと。」     と話したと言う。

              彼女にはNepotismの根源である子供が居なかった。彼女が最初に輿入れしたとき連れて行った弟は領土が旧来の15酋長領に再分割された際、酋長の一人にはなっている。

              とまれ彼女は無造作に素顔で橋を渡って行った。(了)

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