第11回 第二回出張終わりの日々(後編)/西アフリカ・シエラレオーネ国
そして帰路(8月3日―4日)
二人に港まで送ってもらい、8月2日午後9時半発のホバーに乗って本当に穏やかな海を20分で渡り、翌3日0時45分のロンドン行きに乗った。乗り継ぎは半端な9時間なのでホテルで油を売って東京に8月4日(土)の午後に着いた。
フリータウン - ルムレービーチ
SL Encyclopedia 2007 archive
役所が動く8月6日(月)一番でJICAシエラレオーネ事務所から突然1通の連絡・通達便コピーが届いた。見ると、
*シエラレオーネ沖における定期連絡船の転覆事故について*
>○8月2日午後10時頃、嵐によりシエラレオーネ沖で
フリータウンとカンビア等を結ぶ定期連絡船が転覆し
死者行方不明者が200名近く生じている。
>○レスキュー隊が出動したが、助けるすべがない状況。
>○ルンギ-フリータウン間のホバークラフトとフェリーの運行に
影響は生じていない。
>今後、船外機式の連絡船の利用は禁止いたします。
>ルンギ-フリータウン間のフェリーも、
著しく老朽化が進んでおりますので、利用を禁止いたします。
>ホバークラフトが時化等により運休している場合は、
陸路による移動をお願いいたします。
我々のシエラレオーネ/東京間の復路は二度とも一見ニアーミスのような感じとなった。前回は我々が搭乗した日の前日に運転を再開したヘリが2ヵ月後に炎上墜落して全員死亡。
今回はPM9時半発、我々が乗ったホバーは穏やかな海の上を走ったのに、やや遅れて数十キロ西方海上で嵐が起こり、定期船が遭難し、全員死亡。
折角の機会だから、報道について注釈を一つ二つ。
カンビアは僕が働いている県の県庁所在地で、国の西北端を流れる大川沿いにある。我が川港、ロクープルの上流・数十キロに当たり、雨期満潮時に10人程度の乗合舟が往来するに過ぎない。
首都への海上定期船は河口の港から出る。船外エンジンつき小船で近隣川筋から来た客はそこで乗り換える。25年前カンビアに行くには先ず河口右岸にあるカシリで乗換えていた。また、200人はきっとフィリピンやインドネシア島嶼国でよくあるように定員オーバーだったに違いない。
時折、海上交通の遭難はあるようだ。ちなみに僕の相棒ブレは、
「俺は泳げないから、首都に給料を取りに行く時には高くても絶対バスで行く。」
が口癖だ。
フェリーはシエラレオーネ河の河口を渡る。船は痩せても枯れても日本製だ。ただし25年前に既に中古だった。フェリーを禁止して陸路を行けば、180kmの迂回となる。こんなケースは稀だが、海がホバーの飛べないほど時化ていれば、飛行機も飛ぶまい。ホテルでの寝待ちが「待てば、海路の日和あり。」だ。
待てよ。前回はホバーも故ヘリも部品待ちで、我々はフェリーで来たんだよな。
真夜中に着き車の中で眠りこけていたので、気が付いたら車はもう対岸に着いたフェリーから出るとこだった。まあ、それくらい静かに水面を動いたわけだ。
河舟輸送は海上に比べれば、ずっと安全だ。風波が強い時、舟は船着場に避難して来る。25年前の乾期に、僕は西北端の大河から一本、東南側にある大河の感潮域中流に住んでいた。車道は少なかったから調査には舟をよく使った。大河筋は8HPから15HP程度の船外エンジン、支流に入ると手漕ぎが多かった。一度カシリの先まで舟で日帰りの旅をした。最寄りの船着場から全長10mくらいの屋根無し舟に乗った。岸辺のヒルギ林に小さな黒いサルがいた。乗り合いだから右岸や左岸のあちこちに寄って客を拾う。いなければ少時待つ。手を上げる客もいる。12月はミカンの季節、何処の船着場でも季節商品としてコラの実やタバコと並べて売っていた。農民は稲の収穫中で客は少なく、いたらミカン、バナナ、サツマイモ、その茎・葉、カボチャの種、ニワトリなど農作物を商う女くらい。さて、ようやく、河口にある乗換え港トゥンブに近づいたと思ったら、目の前をカシリ行きが出て行く。待ちである。ここには小さな桟橋があり、市場、石油タンク、精米所がある。そして船大工が舟を作っている。
乗換えた舟は少し大型で20人くらい乗れる。屋根が付いている。乾期で潮が引いているので桟橋は役立たず。客は一人ひとり背負ってもらって乗換える。時にはカニの群れが甲羅を干す砂洲の間の水道を右に左に1時間半、カシリに着いた。首都への定期船、更に大型の木造船が船がかりしていた。給水タンクも見える。ドイツの援助だそうだ。港にはラジオの修理屋がある。よしずを張り出したディスコがある。マラタ人(インド・ムンバイ周辺の人)がやっている。干魚が積まれ、舟は上流対岸にあるマンボロに舳先を向けた。政府の精米所があるこの港では上げ潮を待つ砂利舟が目立った。その行き先はロクープルである。
25年たった今、そのロクープルで僕は砂利置き場を見ている。船着場は我々の取水口がある支流の大河近くで、二種類の砂利はそこからトラックで内陸部へ運ばれている。引き潮時は、いつも船大工がトンカチ、トンカチと舟を修理している。水道の拡張工事では共同水栓が其処に作られることになっている。
とまれ、ほどほどにやっていれば、無事に済む場合が多い。過ぎたるは猶及ばざるが如し、とは言っても経済行為は過度に近づくことを要求しているから、人生はスリルに満ちている。それは乗り物に一番端的に現れている。僕らが乗っている地球の色んな局面が過度になって来ているところも、乗っていること自身宿命だから、宿命の要素が掛け合わされる。だから下手をすれば話は止め処なくなるばかりだ。これも過度である。やれやれ。(了)
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