第7回 日々是好日(後編)/西アフリカ・シエラレオーネ国
読んで下すっている方々へのお詫び:
第6回が8月24日に掲載されてから無音のまま2ヶ月が経ってしまった。
まことに申し訳なし。
先ずは「日々是好日(後編)」を掲載し、
次回は第6回冒頭の読みにくい小文字の註をやめ、
「現場作業」の表題で一括りにして掲載します。
「424」の頭は事業計画で一杯だ。こちらは机を前に集まったデータをとみこうみ、この町の水道事業の資産維持と収支を考えている。
雨で外回りの仕事は少ない。そんな時は俺を送って来ると、昼飯時、宿舎に戻るまで仕事は無い。自分も手帳を手に考えているか、傘を手に色々聞き歩いている。昔取った杵柄だから川舟運送の船主組合にも顔を出しているような気配だった。俺も主要な3人とは前回会って少しは気心の知れた仲になっている。
また浄水装置の壊れた上水施設を一人で切り盛りして来た45歳のエネルギー省水道局メカニックのBとも良い仲になっている。これまでこの町に関する俺の情報はほとんど皆B経由だったが、「424」が来て情報の種類は増えた。
Bは奇特な男である。給与は国からとは言え、高架水槽の下に家族と住んで20年間この町の水道の残骸を丁寧に維持して来ている。取水・ポンプ施設のある小川と15m乃至20m落差のあるやや平坦な尾根との間に敷設された給水・配水網5km弱の中を自分で買った自転車で、そのチャリンコが壊れて居る時は足で巡回し、利用者の要望に応じようとしてきた上に、年に一つや二つ直接接続の注文もこなして来ている。
そう言えば、 「今は夢だが、中古バイクを買うなら、自国首都でではなく関税を払っても隣国首都で。」 と言っていたな。
「424」のコナクリ往復も、Bとの話から生まれたに違いない。
僕は一昨年コナクリで1ヶ月、働いていたが、レバノン人経営のホテルに泊まり、毎日、利用者増加傾向のある北部地区に出かけ給水戦略をチェックし、事務所に戻って、水道局のややこしい財務状況の推移を監査することで精一杯だった。他にはコナクリの町の下水工事現場に楊枝をくわえたパジャマ姿のチャイニーズの監督がいるのを見た矢先、スーパーで遇ったシエラレオーネ人から「うちの国も町は至る所、チャイニーズだらけだよ。」 と彼の故国の現況話を聞いたくらいが関の山。
フランスパン2本抱えて戻って来た「424」は俺に少しちぎって寄越し、話し始めた。
「町じゃクレオール語は聞かなかった。聞こえてくるのは仏、スス、フラー語。ボンジュール、サバじゃどうしょうも無かった。」 と苦笑い。
「お前は大昔住んでたんじゃないか。」 と茶々を入れてみる。
もともとギニア内乱のときにシエラレオーネへ難民として来た筈なんだが、餓鬼の頃じゃ、 「何も覚えちゃ無いよ。」
「フラーには金持ちが多い。大きなビルを持って商売をしている。だけど、商談は英・仏語がかちあって話にならなかった。物(ブツ)を調べ、数字を書いて見せ合った。」
と俺に数字を書き散らした紙切れを何枚か見せた。
「ベルギーに店を持っているフラーの中古専門店でヒュンダイのミニバスを見つけたが、高すぎた。」 「確かにバイクはこちらより安かった。」
彼は1泊2日で往復した。往復交通費$20、1泊・飯・国境通過費計$10が費用。
また、こちらの政府が運営するコナクリ/フリータウン間の国際バスが日に1便走っているそうだ。
彼が帰った日は大統領選挙戦で野党第一党総裁の全国遊説班が立ち寄った日だった。この地選出の代議士は25年前、農業次官として俺たちのいた出先機関に度々来ていたそうで、「424」は彼に久闊を叙しに行った。相手も如才が無い。その昔、日本からの調査団の団長とは話したに違いないが、一人ひとり覚えているわけではないのに、俺のことを
「ああ、その日本人は良く知っている。」 と言ったそうだ。俺は彼を知らないが、彼の生家と新開地の大邸宅を知っている。彼の父親と話したこともある。風変りなおっさんで息子と没交渉のような話しぶりだった。商売人で、いつもは別の町の女のところに居るようだ。息子自身はほとんど町にいたことは無い。中央政界の人だ。選挙区は俺たちと直接交渉のある県議を初めとする代理人が仕切っている。
地元選出国会議員の邸
日を置かず「424」は成り行きでフリータウンの中古車マーケットを調べに行って戻ってきた。そこでも結局フラーの店に入り、ルノーのヴァンを見つけてきた。会話はクリオでやるから、
「話を煮詰められた。友達になっちまったよ。やっぱり狙い目はヴァンだな。」
どうやら、自分の村中心に他の村や町を結ぶ人と物の流れの需給を勘案した結果、昔同様、コメとパームの売買をやりながら、川運は論外となり陸運かつ物中心と決めたようだ。
此処では雨を貯める工夫は何所にもない。雨の降る道では「やあ」と話しかけようにも、子供以外には出会わない。数日、雨の合間を縫って拡張地区の共同水栓予定地の現場をBと3人でまわり今回のチェックを終わりとし、「424」と分かれて降りしきる雨の中を28日首都に向かった。
嵐の真只中を団の二人と別れた僕はBホテルの旧館に入った。この小さなホテルは大きなホテルの別館を買い取って始められていた。中は例えばイギリス人の作った背高人仕様のままの部分と普通仕様のが、ちぐはぐになっているところとか、食堂の建物の外壁にKuku’s Nestと旧ホテル時に付けた名が残っているところとかに来歴が示されていた。経営者は何年間か旧施設で頑張った後、去年、直接、大西洋に面した岩盤上の狭い幅の地所一杯に今風の建物とプール一式を作って拡張したばかりだった。それと同時に名前をBにした。
夕飯前、一人食堂の片隅にあるバーに座り、海と木々を揺すり荒ぶ雨・風に浸っていると、田舎の好好爺が音も無く現われ、会釈をして台所に入っていった。僕には何となくその人が持ち主のように思われた。
Bはロクープルの近くにある村の名と同じ、レバニーズやチャイニーズを初め外資系ホテル名の中で異色に思え、一度泊まって見たかったのだが、乾期に調べて貰った時は予約が入らなかった。今は選挙監視の国連関係者が来るには少し間があるのだろう。
インド資本の国際ホテル・チェーン「オベロイ」はデリーのカシミール門外にある小さなホテルの英人経営者が故国に隠退する時、永年勤めたオベロイ氏にそれを贈与したのが始まりである。もう俺の頭は当てにはならないが、ほころびでてきた記憶によれば、門を出たところにセポイの乱で死んだ指揮官ニコルソン大佐を始めとする英軍墓地があった。さらに憶測を拡げれば、その英人は関係者かもしれない。そして多分オベロイ氏はシーク人だ。この民族は乱のとき独立を慮って英軍側で戦っている。
そんないきさつじゃ無ければ、共同出資者は持ち主の親族でもあり得る村出身・分限者の可能性もある。国際道路沿い、ロクープルへの分岐点の傍に大きなマーケットが出来ているが、これを作った人もB村出身である。ロクープルの人々はB市場と呼びたくないので隣国との関係でなるたけ国際市場と呼んでいるようだ。
「424」は今回最後の打ち合わせに高台にあるJICA事務所にやってきた。俺は入り口に” 「Welcome to B Hotel, from humble beginnings」と書かれたホテルと持ち主の話をした。
「一回遇って来よう。」
「お前も頑張りな。しかし無理すんな。年齢を考えろ。」
俺は自分にも言い聞かすように言った。
「うん。」
彼は俺を軽く抱擁して出て行った。
しばらく窓から下を見ていると、雨雲の動きにつれて海と街の広がりが激しい雨に包まれたり、晴れたりした。(「日々是好日」終わり)UFO
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